2016年10月9日日曜日

「15歳の命の価値」開設

2015年秋、重度知的障害の息子が入所施設から行方不明となり、高尾山で遺体で発見されました。
 発見まで2か月、身元の確認のため家族のもとに戻るのにさらに2か月かかりました。
 14年間頑張って育てましたが、思春期で落ち着きがなくなり、児童相談所に相談した結果、施設入所を選びましたが、1年経たずに亡くなりました。
 息子との想い出をつづっていきたいと思います。

4 件のコメント:

  1. 初めまして、私は九州の方で、知的障がい者の施設で支援員をしております。最近も、近所の施設で野外活動中に行方不明者が出てしまいました。私たちは万全の体制で臨んでるのですが、配慮が足りなかったのかもしれません。その子は無事見つかりました。
    いま、命の大切さも薄れていく社会の生き方はこの仕事について、再度実感しています。
    障がい者に優しくない社会は健常者にも優しくないはずなんです。
    何故かこの様な社会になってしまったのか、哀しくなります。
    ご子息の生命は無駄なものではありません。
    私みたいな力の無い物でも、これから先刻み込んで行く事だと思っております。
    尊い生命改めて守っていきます。

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    1. 投稿をお読みいただきありがとうございます。又、丁寧なコメントに感謝いたします。様々な能力の人を受け入れられる精神的に豊かな社会より、競争の原理により産み出される物質的に豊かな社会に共感される方が多いからたと思っています。価値尺度を変えるには、教育現場・マスメディア・SNSなどの発信や、裁判の判例、法律や政策を策定する人達の視点の変更などが必要と考えております。個人個人の力は非力でも共感する方が大勢いれば、少しずつでも進化していくと思います。私達も何か少しでも役立つことを考えて、行動していこうと思っています。

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  2. 昭和のお節介なおじちゃん、おばちゃんは何処に行ってしまったのでしょうか。周りを見ずに自分の生活に追われている社会の在り方が問題ですよね。
    日本には古くから障がい者、健常者的な考えが蔓延しています。完璧な人間なんて何処に居るのでしょうか。自分と比べて、劣る的な考え方は嫌気がさします。もっと国際社会に通用する様に考え方を変えていかなければ、駄目なんですがね。
    少しでも浸透していくことを期待します。

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    1. グローバルな観点から「多様な能力や個性を受け入れて共存できる社会に進化していくことが理想的」ということは多くの方が賛同されることだと思います。かつて北アメリカの先住の人たちの文化に同様の発想があったものの、欧州の容赦のない強引な力に屈した歴史があったと聞き及んでおります。力や効率を優先させる社会から、共存を共通の価値尺度とする社会に今こそ変えていく必要があると思います。障害者の差別にとどまらず、原発、紛争、基地、人権…、身近な問題も共存が解決のキーワードになると考えます。リーダーシップをとる人ばかりでなく、学者、教育現場、企業、消費者、いろいろな立場の方の考えに優先すべき価値尺度が浸透していくことを期待しています。

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