2016年10月9日日曜日

弱者は社会を映す鏡


戦後70年、経済と物質が豊かになり、多様化したニーズや発想そして表現も認められつつありす。
しかしまだまだ、成長が必要とされる領域があると思います。
善意や思い遣りといった「心の領域」です。
 パワハラ・オワハラ・雇い止め・過労死・・・。
 企業が社会を構成する一員としての認識が欠けた利潤追求の産物。
 サービスや商品の適正価格を考慮しないで安いものを求める消費者。
 1人1人が社会の一員として大切な存在なのに、大切にされない。
 「決め事」のなかにもいろいろな矛盾点を抱える今の社会では、「政治が悪い」の一言で言ってしまえるほど単純ではなさそうです。
優しさの不足した社会でも、健常な人はそれなりに生きてゆけます。
しわ寄せは弱い人に降りかかります。
 見て見ぬふりが無ければ、きっと息子は生きて戻ったと思います。
 障害者は社会のお荷物。
バスの中で、そうした目で見られたため、息子は透明人間になったのでしょう。
 弱い人は、社会を映す鏡だと思います。
 自分が健常者と今思っている人も、やがて年老いて弱い人になります。
 思い遣りを大切にする社会は1人1人の努力の集積で、1人1人に還元されるものだと思います。



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