2016年12月25日日曜日

底沢

 相模原市千木良の甲州街道に、「底沢」というバス停があります。
 その近くの林道を車で15~20分進むと、息子が遺体で発見された沢の入口に到着します。
 息子が発見された場所は、傾斜角60度の谷底の沢で、私達にはバス停の名称が強く印象に残ります。
 バス停の近くには小学校も公民館もある町があり、息子が運動靴さえ履いていれば、命を亡くすこともなかったという思いが強く沸き起こります。

 誰でも開けられる扉、開けっ放しになってもしっかりした監視体制をとっておらず、入所者が出て行ったことが判っても、点呼を取らない施設。
 扉は部外者でも開けることができ、相模原の事件のような凶悪な意図を持った人物でも自由に入ることができる状況でした。
 明らかな過失を処分しない東京都。
 口惜しさがどんどんつのります。

 今春、東京と大阪の認可外保育施設で幼児の死亡事故がありました。
 大阪は「認可外保育施設指導監督基準を満たす旨の証明書」を返却させましたが、東京は指導のみの対応になっており、行政の姿勢にも違いが感じられます。
 待機児童を減らすため、保育施設を増やそうとしている行政。
 安全性の垣根を低くしても施設の数を増やす。
 東京都にいたっては処分すべき事態にもしない姿勢。
 決して障がい者だけの問題ではないと思います。
 
 障害者入所施設、社会福祉法人藤倉学園を私達に紹介・斡旋したのは、東京都の児童相談所で、施設の行政を担当する東京都福祉保健局の傘下にあります。
 東京都に対して、息子の行方不明当初から事故の調査を依頼しました。
 調査結果は、遺体の身元が確認されたのちに還元されました。
 複数の職員の不適切な対応と設備の疎漏な管理が行方不明の原因で、過失を認定しています。
 しかし、東京都は重ねての依頼にも関わらず、施設に対しては改善指導にとどめ、行政処分をしません。
 「紹介責任の回避」の意図が強く感じられます。

 こうした事実を障がいの有無にかかわらず、お子さんを育てている皆さんに広く周知していきたいと考えています。




「帰るぞ !!」

 息子が幼稚園位のころから、母親の実家に遊びに行くときは、お散歩がてら歩いて行きました。
 片道10kmくらいのウオーキングになります。
 父親の実家とはしっかり区別し、到着すると、冷蔵庫を開けたり、寝室に出入りしたり…、我が物顔の無礼講でした。

 あるとき悪戯で、和室の障子をブスブスと指で穴を開けて遊んでいました。
 祖父に見つかり、大きい声でたしなめられたとき、逆切れしました。
 ダイニングで祖母と雑談していた母親の手を引っ張り、玄関まで連れて行き、
 「こんなところに居られるか、早く帰ろう!!」とでもいうようにひとしきり
 アピールしました。
 なだめようとした母親を、勢いよく玄関のたたきまで押しだしていきました。

 息子が亡くなった今となっては、親をどんなに困らしてもいいから戻ってきてほしいと思っています。
 今は、母親が実家に行くときは、なるたけ想い出の道を避けて、自転車で行きます。

 祖母は、いろいろ叱ってしまったことを口癖のように後悔しています。
 祖父は何も言いませんが、私達に会うと息子を思い出すようで、後ろ姿がいつも淋しそうです。


訴訟の経緯

 2015年9月4日、知的障がいの息子松澤和真が、預けていた障害者入所施設から行方不明になり、高尾山の登山道で遭難、11月1日に麓の沢で遺体で発見されました。
 身元が確認され、通知されたのが、翌年1月4日でした。
対面できるまでに、事故発生から4カ月かかりました。
 行方不明の原因は、入所施設の業務上の過失で、本来施錠していなければならない扉が施錠されず、ガードもされていなかったことと、そのことが原因で1人の子供が出てしまったことを認識していたにもかかわらず点呼を取らなかったことでした。
 点呼を取らなかったこと以外にも、複数の職員が安全配慮義務にもとづくルールを守らず、設置していた防犯カメラの不具合を放置していたことが挙げられます。
 事故は発生してから1時間以上も発覚せず、又、防犯カメラで直ぐに確認できなかったため出てしまったこともわからず、敷地内を捜すのにさらに1時間かかり、警察への通報には2時間以上も経過していました。
 通報が遅くなり、警察犬も後をたどることができなくなりました。
 防犯カメラの解析が遅れ、出て行った時の服装も誤って伝えられました。

 行方不明の時点から、施設を監督する東京都に調査を求めました。
 調査の結果が通知されたのは、遺体の身元が確認された翌年でした。
 東京都は施設の過失を認めましたが、改善指導にとどめ、行政処分はしませんでした。

 現在、捜索をお願いした警察署に訴え、事故を起こした施設管理者や職員に対する刑事罰を要請しています。

 施設側も過失を争う姿勢はありませんが、賠償については、弁護士を通じ障がい者を差別する金額を呈示してきました。
 賠償額は「逸失利益」と「慰謝料」から構成されます。
 施設の呈示は、逸失利益をゼロ、慰謝料は基準の最低額20百万円というもの。
 これは、息子は生きていても価値がないという、障がい者を差別したものです。
 まだ15歳の成長過程であった息子に対し、そもそも「利益を産み出さない価値のないもの」と重過失の加害者から言われる筋合いはありません。
 こうした障害者を差別する考えを持つ施設であったから、事故は起こるべくして起こったと考えています。
 家族にとっては、かけがえのない存在である大切な子供を預かっているという認識が欠けている姿勢がうかがえます。

 息子は、その稼働能力から将来就労する可能性は十分ありました。
 又、亡くなった息子が失ったものは、労働の機会だけではなく、これから体験する様々な経験や、感動、知識、夢、人との関わり、人生のすべてです。
家族が失ったものは、息子と関わることで得られたはずの人生経験で、苦労、喜び、自分達の成長等々…きわめて大きなものです。
本来、命の価値が差別されてはならないと思っています。

従来から、経済的に弱い立場の人たちは賠償問題で不利な立場に立たされてきました。
私達の判例が良い方向にむかえば、障がい者ばかりでなく、主婦、非正規雇用、ニート等、経済的に不利な立場に置かれている方々の今後の賠償額の基準の底上げにもつながると考えています。

共感いただける方はぜひ応援していただければ幸いです。

2016年12月9日、社会福祉法人多摩藤倉学園に対し、裁判所の職権で、証拠保全の手続きを行い、民事賠償手続きを開始しました。


(息子と最後に一緒に見た宮ケ瀬ダムの風景)


2016年12月18日日曜日

グーグルマップ

  息子の遺体の身元が確認され、私達のもとに戻ってきた後のこと。
 捜索中の事を思い出しながら、グーグルマップで発見された場所を表示し、ストリートビューに切り替えたときに驚きました。
 昨年11月の息子捜索中のシーンが写っていました。
 複数の警察の方が、山岳装備で発見された沢に架かる橋で待機しているのです。
 ストリートビューで画像が表示されるということは、比較的車の往来がある場所だと認識しました。
 橋から遺体が発見された場所まで、しっかりした靴があれば、慣れると20~30分くらいで到着します。

 安全より効率を優先させた体制で、他の入所者が出てしまったことに気づいたのに、他に出た入所者がいないか確認の点呼をとらなかった施設。業務上の過失により、息子は行方不明になりました。

 上履きのサンダルのまま外に出て、天候も視界も悪い夜間の登山道の悪路で足を取られ、サンダルも脱げてしまったようです。
 夜間はヘッドライトや懐中電灯が無ければ真っ暗で足元も見えません。
 サンダルの脱げた登山道から発見されたふもとの沢まで歩いて一時間半かかります。
 傾斜角60度の斜面、靴下だけで下山できても、上ることはできなかったようです。

 発見場所に案内されたとき、登山靴や渓流用の長靴を着用しました。
 案内してくれた警察の方は歩き慣れているようでしたが、素人の私達には整備された登山道を歩くのとは格段の差を感じました。
 沢の中を渡るときは、登山用ストックで水深を確認しながら、岸の斜面を歩くときもやはりストックで足場の固さを確認しながら進みました。
 高低差のある岸は滑りやすく、念のためにヘルメットを着用しました。

 息子は、計画的に隙を見計らって施設を出たのではなく、施錠するべきとびらが開けっ放しになっていたので出てしまったのです。
 最初から山にいくつもりなら、靴箱の運動靴に履き替えていたはず…。
 せめて運動靴さえ履いていれば、命を亡くすこともありませんでした。
 ルーズな体制が引き起こした事故。
 遺品として戻ってきた靴下は穴だらけでボロボロでした…。
 
 本日、裁判所の職権で、障害者入所施設の「社会福祉法人 多摩藤倉学園」に対し証拠保全を実施、民事訴訟の手続きを開始しました。

(遭難した近郊の地図 グーグルマップではありません。)
 




「びょういん ハッ ! 」

  息子が小学校3年生位の時に、初めて虫歯の治療をしました。
 注射は、予防接種で慣れているせいか特に抵抗しません。
 しかし、虫歯を削るのは、大人でもキーンという音を聞くだけで身につまされます。
 自閉の息子に虫歯治療などできるのだろうか、いつも不安に思っていました。
 そのため、母親は小さいときから神経質なくらい、歯磨きを入念に行ってきました。
  しかし、ついにその時がきました。
 歯科検診で、虫歯を指摘されたのです。
 歯科医に相談した結果、治療は麻酔で眠らせて行うことになりました。
 医師と歯科医のコラボによる治療、障がい児専門の治療施設で処置することになりました。
 予定通り終了し、寝ている息子を、ストレッチャーで駐車場のマイカーまで運んでもらいました。

 出発しようとした瞬間です。
 目が覚めた息子が、血相を変えて父親に迫ってきました。
 治療台のところへ戻れ と憤激しています。
  歯科医に文句を言いたかったのか、
  目が覚めている状況でやり直せと言いたかったのか…
 今から思うと、後者だったと思います。
 「寝ている間に何をした ? 仕切りなおせ !」とでも言いたかったのでしょう。
 取り急ぎ、診療所をあとにしました。
 大人でも虫歯の治療をもう一度受けるのはためらいます。
 親は心配しましたが、亡くなった息子は思ったよりしっかりしていたようです。

 施設から帰省の車の中で、一度は必ず口にしました。
 「びょういん、ハッ ?」(歯医者さんにいくの ?)
 虫歯の治療は“勇敢な ?”息子でも好きではなかったようです。

 




2016年11月25日金曜日

ギリギリヒーロー

 車のBGMの定番に、ミヒマルGTのアルバムがありました。
 ヒット曲の一つに「ギリギリヒーロー」という曲があります。
 柴咲コウ主演の映画「少林少女」の主題歌で、PVでは柳沢慎吾が出演して
 話題になりました。
 「困った時にいつでもどこでも助けてくれるヒーロー」を主題にしています。
 息子はなぜかこの曲だけを避けていました。
 曲のイントロがかかると結構怖い顔で飛ばすようアピールしました。
 親は良い曲と思っていたので、その時は不思議でした
 いざというときに助けてくれるヒーローなんかいないと予感していたのでしょうか。
 息子が遭難したとき、助けてあげられなかったことを今でも悔やみ続けています。


ジェラシー

 小学校4年生位の頃だったと記憶しています。家族でよく行く公園での出来事でした。
 いつもの様に散歩していたとき、橋のたもとで、4~5歳位の女の子が1人で泣いていました。事情を聞くと、お母さんとはぐれたとの事。迷子の女の子を管理事務所に連れて行くことにしました。「お母さんを見つけてもらおうね。」と話しかけながら、母親が女の子と手を繋いで歩きはじめました。
 その時です。息子から刺す様な視線を感じました。息子が女の子を怖い目で睨み付けているのです。あわてて父親に交代してもらいました。父親が管理事務所に連れて行き、息子と母親はベンチで待っていました。
程なくして女の子のお母さんを呼び出すアナウンスが流れ、息子の目は穏やかになっていました。
 こういう時は父親に任せよう…。
 息子が亡くなった今となって、あれが最初で最後の嫉妬だったと母親は気づきました。



2016年11月13日日曜日

凹んだ室外機

 小学校3年生位の頃のお天気のよい秋口。
 息子が2階のベランダに設置している、エアコンの室外機の上に座って日向ぼっこをしていました。
 正座して、上機嫌に歌を歌いながら…。
 しばらくして、1階に降りてきた息子の顔を見ると、片目がお岩さんのように腫れていました。虫に刺されたのだと思います。
 あわてて、休日診療所に連れていき、治療してもらいました。
 まぶたの腫れは翌日に引きましたが、室外機に痕が残りました。
 何日かして雨が降り、室外機の上に水たまりができていることに気づき、
息子の体重でへこんだことがわかったのです。
 そのときは、「やられた…。」と思いましたが、息子が亡くなったあとは、「これは息子の作品」と思うようになりました。
 今週、エアコンを交換することになり、想い出の痕跡がある室外機も取り外すことになりました。
またひとつ想い出が無くなり、淋しい気持ちだけが残ります…。


2016年11月5日土曜日

違いのわかる男

   家族のドライブ
 BGMの最初の選択権は息子にありました。
 オープニングはサザンオールスターズの「バラッド3」
  次はミスターチルドレンの「スーパーマーケットファンタジー」
 リピートは許さずアルバムを一巡すると次を催促しました。
 終了すると、選択権を譲ってくれます。
その後はジャンルにもこだわらず、邦楽以外にもクラッシックやジャズ、ロックでも聞いています。
 ただリピートを許さず、トップの曲のイントロが始まると別のアルバムをかけるよう促しました。
 初めて耳にするアルバムでも一巡すると終わったことを教えてくれました。
 曲の識別能力は家族で随一。
 家族は2度かかっても気づかないことがあり、いつも感心させられました。
 サ行は苦手でしたか、なぜか「サザン」と発語ができていたので、不思議でした。


2016年10月28日金曜日

ケチャ・マヨ

 食べることが大好きな息子、納豆以外はなんでも食べました。
 殊に寿司は大好きで、光り物も口にしました。
 パンにはこだわりがあり、調理パンや菓子パンには見向きもせず、何の変哲もない食パンを好みました。
 食パンを見ると、自分で冷蔵庫からマヨネーズとケチャップを運んできて、それぞれ厚塗りして勝手に食べています。
 息子流の「オーロラソース付パン」
 味は悪くなさそうだけど、ヘルシーとは言いがたく、
 家族は遠慮しました。
 母親はあわててケチャ・マヨをしまいます。
 足りなくなると「マヨえー」とか「ケチャぴー」といって追加を催促されました。
 息子がいた頃は、ケチャップも冷蔵庫で存在感がありました。
 今にして思えば、一緒に食べて「美味しいね」と共感してあげればよかった…。


ピーラー

 ニンジン、キュウリ、じゃがいも、タマネギ、息子は野菜の皮をむくのを好みました。
 タマネギ以外は学校の調理の時間に使い方を習ったピーラーを使います。
 又、むいた野菜を、包丁でサイコロ状にカットしました。
 コントロールしやすいように、包丁は子供用の軽いセラミック製を準備しました。
 我が家のメニューは自然にカレーとシチューそしてポテトサラダが多くなりました。
 家に置いてある野菜を見ると息子にスイッチが入ります。
 下ごしらえをするのは息子の仕事
 調理するのは母親の仕事
 包丁さばきを見守るのは父親の仕事…。
 おかげで家族に家事分担の習慣が身に付きました。
 食べることが好きでしたが、自分自身で下ごしらえしたメニューは格別だったようです。


2016年10月15日土曜日

エンターテイナー

ジャズヴォーカリストの鈴木重子さんが、息子の通っていた特別支援学校で、コンサートを行いました。
 ニューヨークのブルーノートにも出演され、東大法学部卒としても有名なミュージシャンです。
 休日で、保護者も招待されました。
 息子がまだ小学校低学年のころのことです。
 生演奏はオーデイオを介した音楽とは、各段の差があります。
 障がいのある方でも、大人しい方は経験する機会もあると思いますが、息子のような多動の症状があると、他の方の迷惑を考え、鑑賞する機会がほとんどありません。
 招待状を見たとき、参加を躊躇しました。
 息子のようなお子さんも来るだろうし、ボランテイアで演奏してくださる鈴木さんや主催された方もご理解されているだろうと思い、息子をつれて参加することにしました。
 アットホームな雰囲気の会場でした。
 息子が途中で飽きて走り回ることを考え、後ろのほうの席に座りました。
 途中退出し、息子の好きな散歩に切り替えればよいと思いました。
 コンサートが始まり、鈴木さんが登場し、挨拶に続いて演奏が開始されました。
 CDやウォークマンで聞き慣れた歌声でしたが、生で聞くとグッとハートに響き、引き込まれていきます。
 息子や他の生徒さん達をみると、みんな大人しく、嬉しそうに鑑賞しています。
 曲の合間に、鈴木さんのトークが入ります、落ち着いた穏やかな声で、子供たちも魅了されていました。
 コンサート会場では、演奏する側と観客側が、あうんの呼吸で雰囲気を盛り上げていきます。
 音楽のジャンルによって盛り上げ方は多少異なりますが、相互の意思表示でコミュニケーションが成立し、感動も共有できます。
 障がいのあるお子さんも、感激の意思表示はしますが、場面に則した表現は難しい方が多いため、保護者や支援者の方が子供たちに代わって場を盛り上げていきました。
 3回目くらいの曲の合間のトークの時、突然息子がつかつかと鈴木さんに近寄って行きました。予想外の行動で止める暇がありませんでした。
 座っていても背の高い鈴木さんを横から笑顔で見上げていました。
 手をすっと出し、鈴木さんと握手を交わしました。
 「よく来てくれた、とても良かった…」と言わんばかりに。
周囲の保護者や支援者の方から歓声が上がりました。
とても印象に残ったコンサートで、鈴木さんのボランティア活動の心意気を息子が感じ取り、アドリブで場面を盛り上げたんだと思っております。


2016年10月10日月曜日

子供を守るネットワーク

子供を守るネットワーク 略称「こどもネット」
 三多摩地域に所在する企業とその労組で構成され、市町村が支援しています。
 主に、バス・タクシー・宅配トラックの交通機関やインフラ関係の企業と市町村の公用車が車両に指定のステッカーを張り付けて掲示しています。
 こどもネットの説明のチラシが小学校や保育施設に掲示され、市町村のホームページにも掲載されています。
 チラシの内容は、「このステッカーを貼った車がみなさんを見守っています。危ないこと、怖いことがあったら声をかけてください」というもの。

 保護の手順も定められています。
①社員が車両業務中に子供の身の危険を察知し、一定の判断に基づき、こどもを一時保護する。
②落ち着かせたうえで、警察へ110番通報する。
③警察の指示に基づき保護の対応を行う。
④会社に一報をいれる。

 息子を乗せたバスの会社はこどもネットに加盟しており、車両にこのステッカーを掲示していました。
 息子が施設から出て、行方不明になった時に、接触があったと確認できているのは、乗車したバスの運転手で、大声を出し、バス乗車のルールも判らずに介助者なしで、終点で運賃を払わず下車しても通報をしなかった件は開設当初のブログで発信しました。
 
 バス会社に対し、警察に通報しなかった件について問いただしたところ、対応した担当者の回答は、思ってもいない内容でした。
乗務員の役割は乗客を目的地まで安全に移送することで、通報の義務はない。
痴漢それに類する行為で他の乗客に著しく迷惑をかければ通報するが、今回の事故は通報の対象ではない。
今後も、乗務員に対し教育するつもりもない。
というものでした。

 違和感を感じ、子供ネットの運営団体と支援している八王子市に照会したところ、運営団体から、「子供ネットは子供たちが不審者から狙われるのを防ぐのが目的で、息子のような事案は対象外であった。今後は検討していきたい。」との回答がありました。
設立して10年経ち、特にチラシやマークからは読み取れないものの、通報して子供を助けるケースは痴漢行為に限定していたとのことでした。
ステッカーは黄色い輪のなかに、赤塚不二夫のマンガに登場するようなお母さんと幼児が笑っているデザインで、「こどもを守る」と表記があるだけです。痴漢行為を目撃したら通報するのは当たり前のこと。ステッカーを貼ることがそうした行為の牽制が目的なら、漠然としたスローガンではなく、具体的に明示すべきものと考えます。
迷子や困っているようなお子さんがいても、保護の対象ではなく、通報の義務はないということになります。障がい者だけでなく、健常のお子さんをお持ちの親御さんも誤解を招くようなステッカーだと違和感がぬぐえません。
 障害者差別解消法が施行された今、スローガンに違和感が感じられないよう改善すべきだと思います。

誤解をさけるため、以下、子供ネットの事務局からの回答を宛名と発信者名を除いて掲載します。

(長文です。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この度は、ご子息のご冥福、心よりお祈り申し上げます。

 先日、ご頂戴致しました件に関し、「こどもを守るネットワーク」としての見解を述べさせて頂きたいと思います。

 こどもを守るネットワークは、2006年に設立し、2016年6月をもって満10年が経ちました。当初、全国でこどもたちが不審者から狙われる状況を踏まえ、三多摩地域において、こどもたちが安心して安全に暮らせるよう、労働組合、連合として何かできないか、という視点で議論を重ね、設立に至りました。

日々の活動としては、三多摩地域において車輌業務に携わる社員・組合員を中心に、こどもの見守り活動を行っています。
具体的には、こどもが不審者からの“声掛け”“身体接触”“公然わいせつ行為”等に遭遇した場合、「こどもを守るネットワークのステッカーを貼っている車に、こどもが安心して助けが求められるよう、また、こどもが助けを求めてきた時は、運転手は、一時的にこどもを保護する」といった内容となっています。

よって、今回のバス車内で起きた事案とは、少し異なることだと考えます。しかし、「こどもを守る」ということには何ら変わりはないことも事実でございますので、今後については、今回の出来事を真摯に受けとめ、こどもを守るネットワーク対策委員会で議論し、立川警察にも助言を頂きながら、今回のような事案についても検討していきたいと考えています。

続 東京都の対応

本日10月7日、東京都から照会の回答が送られてきました。
 施設の過失に対し、行政処分しない理由を尋ねたことに対する回答です。

 「行政処分については、法令・基準違反の重大性や故意性・悪質性の存在により、児童福祉に著しく有害であるとみとめられる場合に行うことができることとなります。」
 「これを当該施設についてみたところ、職員の意識・行動等や管理運営面において不適切・不十分な点などが認められましたが、不正請求等の組織的・悪質な行為や重大・明白な法令・基準違反、改善指導に従わない又は改善の見込みがないなど、行政処分に至るまでの理由は認められませんでした。」

 障がい者の施設に対し、過失責任に対するペナルティの基準が、一般的な慣行と比べかなり緩やかで、納得できないものでした。

 省略することで誤解を招く恐れがあるため、宛名・差出人名を除き以下全文を載せます。
 (長文です。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 改めてお悔やみを申し上げ、ご子息様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 ご指定の回答期限に遅れましたこと、深くお詫び申し上げますとともに、以下のとおり、回答させていただきます。

 まず、ご子息様の失踪を招いた原因としては、調査結果報告書に記載していますとおり、複数の施設職員による不注意や不適切な行動等があったこと、また、これらの行動等につながった要因として、管理運営面において、職員の意識づけや業務手順・ルールの徹底などに不備・不足等があったことが認められました。
 一方、これも調査結果報告書に記載しておりますとおり、今回の事態が発生する以前、施設においては、不足等があったとしても、事故防止・リスクマネジメントの取組、支援に係る手順書・マニュアルの整備、内部研修の実施など、入所児童に対する支援や安全管理に当たり、組織的な取組が行われていました。
 こうした中、都といたしましては、施設に対し、運営管理面における観点を含め、業務手順・ルール等の見直し・徹底などを図るとともに、玄関扉の二重化、敷地内フェンス・門扉の増設等の対応がなされており、都の改善指導に従い、安全対策に取り組んでいることが認められます。
 御要請の行政処分については、法令・基準違反の重大性や故意性・悪質性の存在により、児童福祉に著しく有害であると認められる場合に行うことができることとなります。
 これを当該施設についてみたところ、上述のとおり、職員の意識・行動等や管理運営面において不適切・不十分な点などが認められましたが、不正請求等の組織的・悪質な行為や重大・明白な法令・基準違反、改善指導に従わない又は改善の見込みがないなど、行政処分に至るまでの理由は認められませんでした。

 ブログをすべて拝読させていただきました。最愛のご子息様を亡くされたことの悲しみや葛藤の大きさなど、ご心中をお察しするに余りあり、ご納得いただくことは困難と拝察いたしますが、都といたしましては、今後とも継続的に、当該施設に対して指導を行ってまいります。

再会

11月の初頭、規模の大きな捜索の直前に息子と同年配の遺体が沢で発見され、神奈川県の警察署に収容されたという情報が入りました。
捜索をお願いしている警察署に確認したところ、身元の特定ができていないとの回答がありました。
特定できない理由は、時間の経過による損傷とのこと…。
息子が歩いていた縦走コースは、東京と神奈川の県境で、発見された場所は相模原市の警察の管轄でした。
相模原市に行けば会えるのではと思い再度尋ねましたが、検死で身元が息子と特定できなければダメとの回答がありました。
予定通り、捜索が行われ、いくつかの遺品が見つかりました。
捜索の終了時、今までの経緯を説明していただきました。
情報はいくつか提供いただいたものの、追跡につながったものが少なく、捜索は難航したとのこと。
説明から、事故は発覚の遅れが致命的な原因であったと再認識しました。
DNA鑑定により、沢で発見された遺体が息子と確認されたのは、翌年の1月の初頭でした。
遺体の状況から、死亡には外的な要因がなく、飢えと寒さによるものと考えられるとの説明がありました。
沢までの経緯について、滑落したものか、自分で下山したのかは不明で、発見された場所から推定すると、沢をさ迷っていたようだとのことでした。
台風の影響で天候がかなり悪い時期でした。
淋しい場所で、濡れたまま、どんなに辛い思いをしたことか…。
斎場で息子の変わり果てた姿に面会できるまでに、行方不明から4カ月かかりました。


東京都の対応

施設を監督する行政は、東京都の福祉保健局です。
息子の事故原因は調査したものの、過失に対する行政処分は実施していません。
被害者側に対する聞き取りも実施していません。
知事に対し親展の手紙で処分を要請しましたが、一月以上経過しても何の回答もありません。
福祉保健局長と障害者施策推進部長にあてて、処分をしない理由について、期限をくぎった照会を書面で送付しましたが、期限を経過しても回答はありません。
以前にも投稿しましたが、保育園同様、希望者に対する数が足りず、質の向上に寄与する競争原理がはたらいていません。
飲食店で食中毒が発生すれば、営業停止になります。
飲酒運転で人身事故を発生させれば免許停止となり交通刑務所で服役します。
複数の職員がルールを守らず、人命より効率を優先させた扉の運用を行い、防犯カメラの不調を放置していたため、事故が発生し発覚も遅れた責任が問われないとしたら、障がい者の命を軽視していると判断せざるを得ません。
行政が、障害者を差別していると私達は考えています。
息子の死を無駄にはさせたくありません。


「遊びはおわり…」

 息子が行方不明となって2カ月近く経過した10月の下旬に、高尾山の登山道で、警視庁の複数の警察署による合同の捜索が行われました。
 それまでに見つかった遺品から、範囲を絞った捜索でした。
 小仏峠付近の縦走コースの南側斜面を、警察犬や山岳救助隊も参加し、かなりの人数の警察の方が動員されました。
 出会う方の1人1人に頭を下げました。
 2頭の警察犬にも頭を下げて発見をお願いしました。
 開始から一時間くらい経過して、遺品の一部が発見されました。
 「犬投入 !」
 トランシーバーで話す救助隊の隊長の方の声が響きました。
 瞬間、両親ともに膝が震え、手を握りしめました。
 斜面のふもとには沢があります。
 角度60度くらいの急斜面。
下りに1時間半、上りに2時間かかります。
 母親が、斜面にむかって何度か呼びかけました。
 「遊びは終り、帰っておいで…。」
 その日は発見されませんでしたが、10日ののちにその沢で発見されました。


 

クルーカット

 息子は、「マ行」、「シ」を除く「サ行」、「レ」を除く「ラ行」の言葉をしゃべれず、苦手な言葉は自分で工夫して似たように聞こえるオリジナルの言葉に置き換えて話しました。
 「ハサミ」は「ハイヤー」、「リンゴ」は「インゴ」、「アイス」は「アーイ」などです。
 サ行マ行が苦手のため父親の名前は一度も口にしてもらえませんでした。
 多動のため、床屋にはつれていったことがありません。
 カットはいつも両親の仕事で、主に父親がカットし、仕上げのハサミは母親が担当しました。
 施設に入所するとき、ちょうど夏の終わりでまだ残暑が厳しかったので、入浴後の手入れが楽なように「ボウズ刈り」にしました。
 息子は気に入ったようで、帰省のたびに、「ハイヤー」(はさみ)と言いながら、指をVサインの形にして髪を切るしぐさでカットを要求しました。
 連休がある月は頻繁に帰省し、都度カットを希望するので、刈る余地がなくなり困ったものでした。
 冬場を除き、施設での生活は本人の希望に沿い基本ボウズ刈りで過ごしました。
 今は、息子を借り上げたバリカンが部屋の片隅でほこりをかぶっています。
 「ひげがはえたらどうしよう」と悩むことももうできません…。


フラスコボトル

父親は晩酌の習慣がありませんでした。
ただ、寒い日のウォーキングにはウィスキー等を容れたフラスコボトルを持参し、カイロの代わりに休憩ポイントでストレートで飲み、体を温め、気分転換を行いました。
飲みすぎで注意散漫にならないよう、ピリットした舌の感触を楽しむ程度にとどめました。
息子は多動のためウォーキングは常に、神経を高めざるをえず、精神的にも負荷がかかります。
いつでもダッシュに備えなくてはなりません。前後左右の車や自転車の往来には常に意識が必要でした。
特に寒い日に、歩くテンポが緩やかになると、周囲への気配りの感覚が麻痺してくることがあります。そんな時少量のアルコールが逆に気付けになりました。
今はそうしたお酒の楽しみ方もなくなりました。
息子は親の飲んでいるものを欲しがりましたが、アルコールには興味を示しませんでした。


エアータオル

息子に苦手なものがいくつかありました。
成長とともに克服してきたものの、唯一幼児のころから最後まで、「エアータオル」を怖がっていました。
「エアータオル」のあるトイレを避けていました。
初めて使用するトイレは、扉を開けると「エアータオル」のないことをまず慎重に確認しました。
ウォーキングの途中、休憩のために利用したハンバーガーチェーン店には、どこの店も必ずあるので、決してトイレには入ろうとしませんでした。
音がいやだったのでしょうか、原因はわかりません。
ドライヤーや掃除機の音は平気だったのですが…。


「ふぁーい…。」

 息子はいくつかの単語は話せましたが、2語文以上の言葉を話すことができなかったため、息子からの意思表示は限られた単語と身振り・表情・行動の組み合わせで行われました。
 私達が話す言葉は、複雑な内容を除けば、ある程度理解しました。
 親同士で、行動予定を話し合っていると、いつの間にか聞いていて、自分の中で当日のスケジュールをしっかり組み立てていました。
 途中で変更すると、機嫌が悪くなりました。
 息子に相談して決めたわけではないのに…。予定をもとに戻すよう「ふぁーい」と促されました。
 何かやってほしい時に発する言葉が「ふぁーい」でした。
 思い通りにならないとき、「ふぁーい」を何回も繰り返しながら迫ってきます。
 家族や親族そして息子に関わる人達と、他人とは区別できていました。
 時々、他人にコンタクトを試みることがありました。
 ある時、電車の中で床のゴミを見つけた息子。
 自閉症特有のこだわりで、ゴミが落ちていることを許せない時期がありました。
 落ちているゴミを拾うと、こともあろうに、ゴミのすぐ近くに座っていた男性に「ふぁーい」と差し出しました。
 困惑する男性…。
 母親はあわてて息子の手からゴミをもらい自分のポケットへ…。
 「あーあ…」
 自宅や、ゴミが散らかっている場所では気にもとめないのに、電車の中や掃除の行き届いた場所では気になるようでした。
 自宅では散々散らかすくせに…。



息子さんの担当者はおりません

入所の事前面談の時にいくつかの疑問と漠然とした不安があり、入所した当日に不安がより増しました。
これから、同様の境遇で施設入所を検討されている方は、こうした疑問や不安を解決してから決めることをお勧めします。
以前にも記載しましたが、面談を担当した副園長の態度は横柄でした。
東京都の児童相談所の担当者も同席の面談でした。
まず、児相の担当者が設定し、指定した日時に両親と息子が訪問したさいの最初の言葉が、「今日くるとは聞いていない。」という言葉でした。
児相と施設との間の連絡がうまくいっていなかったのか、施設職員の中でのコミュニケーション不足であったのかは判りませんが、指定された日時に従って訪れた入所予定者にいう言葉ではなく、社会通念とはかけ離れた言動でした。
少し遅れて来た児相の職員にも、私達の目の前で同じ会話が繰り返され、施設の行政側の職員に対する態度としても横柄でした。
余計な発言もありました、「当施設では入所の面談では園長が対応することになっていますが、園長の都合が悪いため、私が代行します。」
突然訪れたわけではなく、施設の都合のよい日時として案内された入所予定者であるということが全く認識されていません。

入所が決まり、息子を入所させた当日。
大事な息子を預けるにあたり、息子の担当となる職員の方に挨拶しようと思い、案内した職員に尋ねたところ、「息子さんの担当者はおりません」と当然のように堂々とした回答がありました。
転校の手続きもとり、入所に必要なものも準備を済ませてしまったのに…。
母親は頭が真っ白になりました。
社会通念も通用せず、入所者の個人個人に対する責任も明確にされていないことがわかりました。
今になって思うと、その時点でやめる勇気がなかったことをとても後悔しています。
入所者の命を軽視した施設であると私達は考えています。
息子の事故は偶発的なことではなかったと確信しています。
施設に対してはいまだに行政処分がなく、何事もなかったかのように施設は事業を行っています。
ペナルティーが課されなければ自浄作用がはたらかず、息子の死は無駄になり、他の入所者のためにもならず、業界の歯止めにもならないと思います。
私達は再度、東京都に対し、ペナルティーを課すよう要請しています。


コミュニケーション

息子が発する言葉は周囲も十分理解できました。
「トイレ」「ごはん」「寝る」「お風呂」などの生活用語
「バス」「車」「電車」「ケーブルカー」などの乗り物、特に鉄道は興味から各社の識別にもこだわりました。(例 「西武」「東急」「JR」「京王」等)
「帽子」「パンツ」「シャツ」「ズボン」等の着衣
「コーラ」「パン」「リンゴ」「コーヒー」「アイス」等の自分の好きな食べ物は鉄道同様たくさん言葉にできました。
動物は「ワンワン」「ニャンニャン」「クマ」程度までで、植物はあまり言葉として発しません。クマは実物をみたことはなく絵本の中の知識でした。
「青」「赤」「黄」の基本の色は言葉として発していました。
言葉として発しませんが、支援学校で使用する「絵カード」は意味を理解していました。
学校では、一日の行動予定がホワイトボードに絵カード等で記されます。自分で見て、自分の先の行動を理解し、自分の中で予定ができていました。
又、こちらが言うことは、上記の言葉以外にも、簡単な指示は「名詞」「動詞」「接続詞」を用いても理解でき、日常生活では困りませんでした。
 自閉症と周囲との交流の接点で、お互いが歩み寄ることは、自分と異なる相手を理解する基本で、いつも勉強させられました。
 ただ、不安に思っていたことがありました。
それは会話ではなく、困ったときに困った表情や、泣いたり、不安な顔をしないことでした。
転んで、膝をすりむいても、泣いたりせず、表情を変えずに立ち上がりました。
 自分の不満や欲求以外の心のうちを表現することは苦手でした。
 行方不明となり、親の不安が的中しました。


水中でキャッチ

家族で福島県の大型リゾート施設に行ったときのこと。
息子が幼稚園に通っていたころのことでした。
大きなプールがいくつもあり、行楽シーズンで大勢の家族連れやグループが来ていました。
息子はプールが大好きでとても喜んでいました。
一泊し、プールエリアに家族で向かった時のことでした。
突然、人込みの中を息子が走っていきました。
あっという間のことで、止める間もありません。
迷子になりました。
みんな水着の、同じような恰好で、人込みに迷子を捜すのは困難でした。
職員に届け出て捜索しようか迷いました。
しかし、幼稚園児には足が届かないプールのほうが多いため、一刻の猶予もないような気がしました。
家族で手分けして、人込みを捜すことにしました。
後から聞くと母親は、足がすくんであまり動けなかったようです。
父親がしばらく各プールを見て歩き、ふと滑り台のついたプールに目をやりました。
水中に黒いものが見えました。
直観で、息子と思い飛び込みました。
息子を抱き上げ水面に出しました。
水を飲んだ様子もなく、ニコニコしていました。
すんでのところで助けることができました。
以後2度とリゾート施設に行くことはありませんでした。
初動が大切ということを痛感させられました。


息子の涙

息子が泣いたのを見たのは、赤ん坊の時期を除き、1度しかありません。
小学校低学年のころ、何か物を壊したかなにかで、叱らざるを得ず、
父親が頭を数回指でつついた時でした。
悔しそうに涙を浮かべました。
母親からは頭を叩くことは固く禁じられていましたが、お尻を叩く程度では言うことを聞かなかったため、つついたのです。
後悔しました。
彼は、一度も家族や親族に手を挙げたことはありません。
同年齢の子供に比べて、体は大きく、また体力もありましたが、友達に手を挙げたという話は、幼稚園、学校からも聞いたことがありません。
叱った原因ははっきり覚えていません。
彼が泣いたときのいやな気持だけが残りました。
以降、叱るときに手を挙げることはありませんでした。
落ち着かずに、多動の行動が出るときには、押さえつけるだけにしました。
思春期に入り、家族で一番背が高くなり、力も強かったときには、家族みんなで協力して押さえつけることにしました。
彼に、他人への暴力だけはさせたくなかったからです。
その願いだけはかなったようでした。
彼が行方不明になり、寒さと飢えで亡くなる前、果たして泣いたのだろうか、
私達を思い出してくれたのだろうか
今でもその思いが強く残っています。


親子連れ

息子が亡くなってから、街中を歩いていると、障がいのお子さんの親子連れによく気づくようになりました。
息子がいたときには、ほとんど気にするゆとりがなかったのかもしれません。
健常なお子さんの親子連れを見ると羨ましく思ったものでした。
今は、逆に、障がいのお子さんの親子連れを、羨ましく思います。
特にお子さんが成人の場合、たくさん大変な思いをされたんだろうなと思うと目頭が熱くなります。
おじさんになった息子をみてみたかった…。



あ、危ない…。

散歩コースの一つに、片側一車線のバス通りを横断するコースがありました。
車の往来の合間を、家族の先陣を切って息子が渡ったことがありました。
小学校高学年くらいの頃でした。
次から次へと車が往来し、ついていくことができません。
息子がついていけない家族に気づき、逆に戻ってこようとしました。
大声でたしなめましたが、躊躇せず渡ってきました。
足がすくんで声を上げることしかできなかったことに気づきました。
道幅や、人の往来から、車もさほどスピードは出せないので、左右を見ながら躊躇せずに身を挺して渡るべきでした。
それからは、息子が渡る前に素早く手を打つようにしました。
横切る車道が近づくと、すぐ脇につきます。父親が一歩でも息子より前に出ると、急に走り出すリスクもあり、間合いところあいを慎重に見定める必要があります。
手をつなぐのを嫌がるため、半歩後ろから「待とうね」と柔らかく声掛けし、いざというときは、タックルする心の準備をします。
母親の話では、同様のことが数回あったとのこと。
赤信号ではほとんど立ち止まりますが、油断しているときに発生したようです。
散歩のコースは慎重に選ぶようにしました。
車道を横断するとき、信号を渡るとき、プラットホームで電車が入線してくるとき、今でも緊張が走ります。



ホームレス

息子との想い出がどんどん忘れて、減っていきます。
特に、辛かったこと、悔しかったこと…。

息子がまだ幼稚園に入る前の頃のこと。
いつも立ち寄る公園のひとつに、ホームレスの方がしばらく住んでいました。
息子の母親が、ある日、いつもの滑り台で息子を遊ばせている時の事。
息子のそばで、小学生高学年くらいの子供さんたちがドタバタあそんでいました。
ホームレスの方が、小学生の子供達に「赤ちゃんがいるんだから、気をつけなさい…。」
と言いました。
あせりました。後で子供たちに仕返しされないかと…。
子供たちは無視しました。
お礼を言うと、彼は母親を拝むように手をあわせました。
しばらくして、公園に行くと、ホームレスの方はいなくなっていました。

これも、息子がまだ小さい頃、ベビーカーで別の公園に行ったときのこと。
その公園にもホームレスの方がいました。
梅雨の間の束の間の晴れだったのに、「また降り出してきたなー」と池を眺めていると、
ホームレスの方が話しかけてきました。
「この池ににさ、誰かがピラニア捨てたらしくてさ、魚、全滅だってさ…。」
とニコニコ、少し得意げに。久しぶりに誰かと話したという感じで、なんだか嬉しそう。

息子が大きくなってから、時々思い出すことがありました。
仕返しされなかっただろうか、2人とも淋しかったんだな…。と。
ホームレスの方の中には、知的障がいを持っていて、本人も気づくことなく人生を過ごしている方もいらっしゃる事を後になって知りました。





行方不明、家族の葛藤

行方不明、残された家族にとって葛藤にさいなまれる毎日が続きます。
きっとどこかで生きている、いや亡くなっている。
両方の間で気持が揺れ動きます。
希望と奈落の底の間を行ったり来たりし、衝動的に悲しみがこみ上げてきます。
その状態が二か月、三か月…。
希望は捨てまいと思っても、日を重ねるたびに無力感と絶望感にさいなまれました。
 4か月後の年明けに、やっと息子が帰ってきました。
ほとんど誰も訪れず、ほとんど陽も差さない沢で倒れていたとのこと…。
あおむけでした。
日数の経過で、旅立ったときにどんな顔をしていたのかもわかりませんでした。
 一日中薄暗い沢で、寒さと空腹を抱えて、誰も助けにきてくれず、どんなに寂しかったことか、どんなにつらかったことか…。
息子を助けてあげられず、とても情けない気持ちになりました。
施設に入れて、1年もたたずに発生したこの事態。
息子を死に追いやったのは、施設に預けた自分たちだ…。
今でもそう思っています。


親爺の教育

 ウォーキングでは、飲料、着替え、軽食を運ぶのに、キャリーカートを利用しました。
 キャリーカートを運ぶのは父親でした。
 母親が運ぼうとすると、息子は父親が持たないと許さないからです。
 母親の手から取り上げて、「はあーい」と父親に渡します。
 首尾一貫したジェントルマンでした。
 ただし、自分が持とうとしないのも一貫していました…。
 息子に落ち着きがないときは、キャリーカートの代わりに自転車を押して歩きました。
 万一、走り出した時に追い付くためでした。
 ウォーキングの途中、気に入った風景の写真を撮りながら歩いていて、家族の歩みに遅れをとったときは、自転車をこいで追い付くようにしましたが、自転車に乗っている姿を見かけると、息子はその都度「ルール違反」として注意するのが常でした。「はあーい」と大きな声で「教育的指導」を受けました。
 父親が自宅でくつろぐ時、メガネを外すと、かけろと注意します。
 下着姿でいると、自分のズボンを持ってきて「ずぼん」といって注意します。
 そういえば、母親がたまにスカートをはくと、やはり自分のズボンを持ってきてこれをはきなさいと注意していました。
 今となっては懐かしい想い出の一つになってしまいました。


最後のドライブ

 息子が初めて帰省したのは、入所してから2カ月後でした。
 家の中の破損した部分の修復と、将来同居したときのための耐震工事が必要だった事情もありますが、施設の生活に慣れさせるため、敢えて面会を控える目的もあり、しばらく会わなかったのです。
 耐震工事は、将来同居したときのことを考えて、震災の際でも避難所の生活を極力避けたいと考えたからでした。
 最初の帰省から施設に戻ったとき、施設に対する抵抗感があまりないと感じたため、その後は月に2回のペースで帰省しました。
 夏休みや連休など父親の仕事が休みの場合は帰省の日数を増やしました。
 しかし、夏が近づく頃に、夫婦双方の親が入院することになり、月2回の帰省のペースの確保が難しくなり始めたころから、息子自身も落ち着きがなくなり、以前よりも大声を発するようになってきました。
 息子の好きな公共の交通機関に乗せるのが躊躇されるようになり、散歩でも人込みで大声を発することから、帰省はドライブで過ごすことが多くなりました。
 電車やバスの好きな息子にとってはさぞ不満であったと思います。
 8月の最後の日曜日、夫婦双方の親の退院を考慮して、日帰りの帰省となりましたが、その日が最後のドライブになりました。
 宮ケ瀬ダム、津久井湖、秋川渓谷を回って施設に戻りました。
 「来週はおばあちゃんの退院のお迎えがあるから、再来週迎えに来るね…。」母親は、湖を眺めている息子の体をそっと抱きしめました。
 施設の駐車場に着くと、いつものように、振り返りもせず、入口のボタンを押して施設の中に入っていく息子…。
 その後ろ姿が、私達が見る最後の息子になってしまいました。
 「施設に慣れてくるときには思いがけない行動に要注意。」
 特別支援学校の先生の言葉を思い出しました。
 家の修復や親族のことで、息子を後回しにしてしまった…。
 後悔だけがのこります。


電車、大好き

息子は、電車が好きでした。
沿線に住んでいたわけではありませんが、西武線がお気に入りでした。
特に黄色の車両と、踏切のチャイムの音色が好きでした。
ウォーキングの途中で、踏切に近づくと立ち止まり、「コンコン コンコン」と口ずさみ、黄色い車両が通り過ぎるまで立ち止まっていました。
新型車両のスマイルトレインや特急レッドアローでは満足せず、黄色い車両が来るまで待っていました。
ウォーキングは、10km~25kmくらいの距離になります。
先を促すと、後ろを振り返り振り返り、名残り惜しそうにしています。できる限り、希望をかなえるようにしました。
 他の鉄道や、ドライブも好みましたが、なぜか西武の黄色い車両は別格だったようです。
 息子の行方不明からはや一年となりました。
 昨日のことのように感じる一方、遠い昔のことのようにも感じます。
  


ヘルプマーク

 重度の知的障がいや自閉症の方も、行動や活動の能力は千差万別で、可能の限りできるだけ社会に順応できるように自立を目指す親御さんも多いと思います。個性に合わせた対応のなかで、1人で行動できるよう歩行訓練中のお子さんもいらっしゃると思います。その際、万一のため、「ヘルプカード」や「ヘルプマーク」を身に着けさせたり、服に住所や連絡先を表示したり、GPS機能付きのアイテムを持たせたり…。人通りの多い通りや、公共施設、マンションには防犯カメラがあるので、訓練の際も経路を選んで通るよう意識されていることと思います。
 息子は、歩行訓練ができるレベルではなく、又残念ながら、名札等を身に着けることを嫌っていましたので、着衣への記載が頼りでした。本人は帽子にはこだわりましたが、リュックは置いて行ってしまう可能性があり、身元特定の頼りにはなりませんでした。
 「ヘルプカード」や「ヘルプマーク」に慣れさせていれば、保護されていたのではと、とても悔やんでいます。
 ただ、今思うこととして、「マタニティーマーク」をされている妊婦さんが混雑した電車のなかで無視される場面を少なからず見ています。関心を持っていただくような周知がなされていないと、有効な効果が期待できないのかもしれません。
 息子が通っていた特別支援学校では、今年度、PTAの方と協力して、知的障がいや自閉症・ダウン症などのお子さんが迷っていることに気づいた方の対応方法をコンパクトにまとめたリーフレットを、地域の警察、鉄道、バス、学校、商店等に配っているとお聞きしています。
 息子のことが契機になったのかもしれません…。
 関心や理解を持っていただく知道な活動が実を結ぶことを願っています。



優しさのおすそ分け

 障がいのある息子と過ごした中で、自分達も経験したり、見聞きしたことがあります。抵抗のできない立場の弱い人たちが、嫌がらせにあう機会が思ったより多いことを。社会問題となっている「いじめ」にも様々ありますが、本来敬意を払われるべき妊婦さんが、やっかみによる意地悪を恐れて、「マタニティーマーク」を着けることを躊躇されているとか…。
 経済行為である、販売やサービスの提供も、買い手優位の場合には良い競争原理が働いて、サービスや製商品の質が高まるという利点がありますが、うっ憤晴らしによるクレーマーの負の連鎖も、小売りやサービスの現場でよく見受けられます。しつこいクレームに対応した人が、反対の立場になると同じ事をやっていることを。
 息子を連れて歩いていると、あからさまに迷惑がられるのは日常的にありました。
 思い遣り、やさしさ、こうしたことがもっと社会に循環する必要を感じます。
 優しくされた人が誰かにその優しさのおすそわけをしてあげる。そんな世の中になっていけば、人々は安心して過ごせ、年を重ねていくことができるのではないかと思います。

防犯カメラ

息子が行方不明になった当初、施設の防犯カメラは機能しませんでした。撮影はできていましたが、モニターのみの故障をシステムの故障と誤認し、一刻を争うときに役に立たなかったのです。
 モニターは職員の話として以前から故障していたようですが、いつから故障していたのかも把握していないという、ずさんな管理をしていました。
 施設を出たかどうかもわからず、2時間以上も通報が遅れ、着ていた服装も誤って通報されました。最初に捜索に提供された写真も、私達の目からは息子には似ていませんでした。
 息子が自宅にいたときは、敷地から外に出たことはありませんでしたが、落ち着いている時でも5分と目を離すことはなかったことが理由だったのかもしれません。
 重度の障がいの子供は、自立の能力に個人差があり、歩行訓練ができるお子さんもいれば、息子のように単独で外出することは難しい子供もいます。ただ、いつも出たことがないからとか、逆に外出は慣れているからといった油断は禁物です。
 通行量の多い道路や、マンション、公共施設には防犯カメラがあるります。歩く際には心に留めておき、歩行訓練や同行する経路を決めるようにするとよいと思います。
 思春期のお子さんの突発的な行動には十分注意してください。 


生活習慣の変更

ー自閉症を理解していただくためにー

 学校から施設に入所者が戻ってくる時間帯、外からは誰でも扉を開けることができる出入り口。
 注意を怠らないようにするのは当たり前。
 しかし、監視役が1人で、何かあったら対応しないといけない。
 こんな状態で、今まで事故が…。運よく解決…?
    息子が入所した当初、子供たちは学校から帰ると入浴していました。
 ところが、行方不明になった年の夏の近づく日曜日、入浴に間に合うように帰省から付き添って戻った時、入浴が夜に変更になったと職員から伝えられました。
 息子は不満そうで、落ち着きがありませんでした。
 変更前は、学校から戻る入所者がドアを開け放しても、入浴していたりくつろいでいたので、息子は大丈夫であったのだと思います。
 入浴後にお気に入りのジャージ姿で、自室でくつろぐ息子を覚えています。
 出入り口のある広間はテレビもあり、みんなのたまり場になっていました。。
 テレビは、お兄さんたちが集まっているので、息子は音の出るおもちゃを持って手持無沙汰で、外の見える出入り口付近をウロウロしていたんだと思います。ドアが開き、職員が誰も見ていない状況でそのまま出て行った…。
 出入り口のシューズストックには外履きがあるのに、履き替えず、上履き用のサンダルのままで…。
 本人は、外履きに履き替えてはいなかったので、計画的ではなく、たまたまドアが開いていたから出て行ったのだと思います。
 ちょっとした散歩のつもりで…。
 たまたまバスがきて…。
 自閉症の場合、ルール変更にすぐ対応できない子供がいることは、プロとして十分認識していなくてはならないはずなのになぜか職員が一人…。
生活習慣の変更にはリスクを十分に検討し、注意深くフォローする必要があったと思います。


皆さまのおかげです

このブログをご覧いただいたり、フェイスブックでシェアしてくださったり、ありがとうございます。
以前もコメントしましたが、SNSの初心者で、ブログの開設も四苦八苦、検索エンジンの表示には親切な方にアドバイスを受けて可能になり、展開のお願いに至りました。
たくさんの方にフォローしていただいたおかげで、このほどGoogleからこのブログを簡単に検索できる「カスタムURL」を付与していただき、google+の投稿は簡略したURLで検索できるようになりました。 google.com/+MasamiMatsuzawa

息子の事故を「一家族の悲劇」としてだけではなく、こうした不幸の未然防止のヒントにしていただければ幸いです。

私達は息子の死を経験し、初めて知ったことがありました。
息子同様、電車やバスを利用して、施設から出てしまう事例が時々あることを。
ただ、ほとんどの場合無事に家族のもとに帰り、大事に至っていないとのこと…。
結果、関係者だけの情報として、十分な検証がなされず、繰り返されるということも。
できれば、息子のような事故は二度と起こしてほしくありません。

子供を事故でなくすと、親は自分を責め、こうしたら良かった、ああしたらよかったと 生涯葛藤と向き合うことになります。
長野県で、小学1年生のお子さんが事故で亡くなられた聞くに堪えられないニュースが伝えられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

思いっきり「初心者」です

ネットのニュースや動画は見るけど、ワードのできない息子の母親が原稿をつくり、表計算とビジネス用の文書しか書けない父親が入力するブログです。
フェイスブック…??
ライン…??
ブログ…周りに誰もやっていない…。
携帯はガラ携で、キーホードはかな変換…。
SNSとは縁遠かった私達でした。
皆さまのお力をお借りして、やっと開設した「15歳の命の価値」
これからも頑張ります !!
ぜひご覧ください。

真夏の夜の出来事

「きゃあ~ こっち来る どうして ?   いやだ~」
 
 忘れもしない 夏の出来事、息子がいくつだったか、小学6年生ぐらいだったでしょうか…。
 息子と母親は、長い夏休みを持て余していました。
 夕日が暮れ始める頃 家を出て 近所の大きな公園まで散歩をするのが日課でした。
 散歩から 帰宅途中でスーパーに寄り 息子は好物のアイスクリームとジュースをゲット…。
 そんなある日の事、いつものように公園へ散歩に…。
 大分暗くなり、涼しくなった公園
 カップルがちらほら…。
 と、何と急に息子は ベンチに座っていた1組のカップルに向かって歩き出したのです。ズンズン…と、
 「どうしたの ? あっちへ行こうよ」 焦って息子の腕を引っ張っても母の力では限界の体格でした。
 息子の事を怖がり、「やだ~ どうして~」を繰り返す彼女。
 無理もありません、知的障がい者の事を知っている人でも構えるでしょう。
 どうしよう…。彼が彼女にいいとこ見せようと、まだ何もしていない息子をどうかするのでは…。
 息子は、そんな気持ちなど察する気など微塵もなく、ずかずか近寄って言いました。
 「こおひい」
 「へっ…」とカップル
 息子は彼の傍らに置いてあるコーヒー牛乳の紙パックを指さしていました。
 「これ 知っている 飲んだことある おいしいね」とでも言いたかったのでしょうか…。
 「そうだねー でもごめんね これあげられないんだ。」と彼。
 よかった、冷静な人で…。
 あとは平謝りで、息子と公園を後にしました。


我が家のウサイン・ボルト

家族の中では、最も足が速く、健脚でした。
家族そろって運動音痴ではありましたが、健康のため、時間の許す限り長距離のウォーキングを心がけました。
日曜日は家族そろって、10km~25km  歩数にして20,000歩から40,000歩きました。
息子は、姿勢がよく、胸を張って歩きます。
走るときは、走り幅飛びの助走のようなスキップのステップで走ります。
本気で走ると家族の誰も追い付くことができませんでした。
万一のため、負けない体力をつけようとして、父親は、勤務先の階段の1階から10階の5往復を始業前と昼休みに実施し、退社後の帰路に5km~10kmのウォーキングを習慣とし、息子の突発的な行動に備えました。
しかし、スピードではなかなか追い付くことができませんでした。
父親に対してだけは、負けん気が強く、普段は素直でしたが、ウォーキングで自分より前を歩くと急に走り出したりしました。
  ヒヤリとした経験があります。
長距離のウォーキングのあと、家に近づいたところで、急に走り出したのです。
気が付くと、前方5mくらい先を走っています。
一方通行の車道を逆走しているのです。
前方からは約300m~500mくらい先から向かってくる車が見えます。
母親は足がすくみました。父親はダッシュしましたが、追い付けるようで追い付けません。
もうだめだと思ったところ、車の運転手の方は状況を察して、クラクションを鳴らさず、徐行して止まってくれました。
息子は車のボンネットを両手でポンとたたき、父親は平謝りに謝り、又感謝しました。
  それからは、工夫し、走り出すタイミングを速やかにとらえて、初速にダッシュすることでなんとか間に合わせるようにしました。加速がついたら追い付けないからです。
  息子のおかげで、以前よりは俊敏さが身につくようになり、少し若返ったような気がしました。
  父親を長生きさせようとしてくれたんだと今は感謝しています。
  車の運転手の方のことは今でも忘れません。


直観

行方不明を知らせる電話を受けたとき、息子の母親は「もう、帰って来ない…」
そう感じました。
10年くらい前に、息子と一緒に見かけた、街中を裸足で徘徊するお年寄りのことが頭をよぎりました。
あの時、周囲の人は誰も気にした様子がなく、彼女だけが気づいているように思いました。
あのお年寄りは透明人間だった…。
息子は、透明人間になってしまうと感じたのです。
私達は、これからも助けが必要な人に対して関心を払っていきたいと思います。



施設入所の選択

現在施設入所を検討されている方から、入所に対する不安と思われるコメントを投稿いただきました。私達が施設入所を選択した理由について再度投稿させていただきます。
 私達の息子は落ち着きがなくなり、思春期外来の病院にかかり、短期間の入院を経験しています。入院させた病院は安全については全く心配はいりませんでした。本人にとって閉塞感はあるかもしれませんが、最長3カ月間は入院できますので、その間でご家族並びにご本人にも落ち着く機会になるかもしれません。ご検討されている方には短期なら入院等も選択筋としてお考えください。
 施設については、保育園同様、数が不足しており、希望者に選択筋はなく、私達も児童相談所を通じて「ここしか空いていない、運よく空いていました」といわれ入所しました。
 息子は出て行ってしまうことはありませんでしたが、2階の窓から飛び降りたり、ガラス窓を割ったりする行動か出てきたので、複数の目が行き届くほうがよいと息子のためを思い入所させましたが、思い余ってこの子を道連れにというところまでは切羽つまっていなかったので、家が少々壊れる程度のことは我慢すればよかったと後悔しています。
 私達の事例を考えて、入所をためらい逆に惨事になることを私達は望んでいません。又、福祉の現場の皆さんや行政が「不可抗力」とか「極端な事例」と受け流すことがないよう真摯にうけとめていただく警鐘となることを望んでいます。入所の決意はお子さんの状況やご家庭のご事情に合わせて、いろいろな方面の方々のご意見を参考にお子様にとって一番よい方法を選択してください。


反面教師

投稿を続けているなかで、たくさんの方からコメントをいただくようになりました。その中で、介護に携わる方から、息子の事故をきっかけに、施設入所を検討している方にとっては、施設に対するマイナスイメージを抱かせてしまう。といったご意見も寄せられました。  
   福祉に携わる皆さまや、すべての施設が、人命より業務の効率を優先させていると申し上げるつもりはありません。又、息子を預けた施設に勤務されている職員の方の中にも、入所者の安全に心を配り、懸命に職務を全うされている方もいらっしゃるかと思います。     
  介護に携わる皆さんには、リスクをご認識いただき、2度と息子のような犠牲者が出ないように反面教師にしていただければと考えています。介護を必要とする人は、障がいのある方ばかりではなく、これからも増えていくお年寄りの問題でもあると考えています。介護の現場の厳しさを他の皆さんが認識し、理解していただくためにも問題提起が必要と考えて投稿しています。
 お客様から大切な財産を預かる業務に携わっている方からすれば考えられないような稚拙なことが、人を預かる施設で発生してしまったことを、ぜひヒントにして、質の高い業務の運営を行っていただくことを願っています。
 もちろん、人と物は違います。窮屈にならない環境や拘束と受け取りかねない措置も考慮が必要です。その中でいかに安全を配慮できるかがポイントになると考えています。介護の業務はこれからも必要です。必要な方だれもが安心して過ごせる環境になることを願っています。
 待機児童問題を抱える保育の現場で起こる事故も同様のことが言えると思います。息子の事故について、「一つの家庭で起きた不幸」で終わらせず、「安全配慮の危機管理」に対する問題提起として投稿を続けていくつもりです。


開け放しの出入り口

息子の事故は、息子に限らず、入所者ならだれでも起こりうる事故でした。
  まさか、出入り口のドアがたびたび開け放されていたなんて思いもしませんでした。
  息子を含め、2人の入所者が外に出たあと、外出していた主任職員がドアの全開に気づき閉めましたが、入所者の安全を考えた点呼をとることはしませんでした。
  開かれているのが日常的であったとしか考えられない行動です。
  息子と一緒に出入り口から出ていた1人の入所者を建物の外で見つけ、保護した別の職員から報告をうけても、ドアの全開に気づき、それが原因で出て行ったと判ったはずの主任職員は、それでも点呼を取りませんでした。
  ドアはオートロック式の開閉扉。閉まったときに電子ロックされます。中からは職員が管理するカードキーがないと開くことができませんが、外からはドア上部のボタンを押せば、誰でもあけることができます。重度障がいのあるお子さんでも、部外者でも、また悪意のある人物でも…。
  入所者の学校からの下校には、年齢や障がいの度合いに沿って職員が付き添って迎えます。
  高校生で単独でバスに乗れる入所者には施設の近くの停留所まで職員が迎えに行き、生活棟のドアまで連れていきます。
  単独では難しい入所者には、施設の車で迎えに行き、また中学生以下には、スクールバスが施設の敷地内まで送り届けます。
入所者単独ではドアを開けないことになっていたはずでした。
  息子の事故の発端は、バス停まで入所者を迎えにいった職員のルール無視でした。
  男女2人に付き添ってそれぞれの生活棟に付き添うはずの職員が、男子の入所者に単独で帰るよう指示したのです。気分の悪くなった女子の介助が必要になったためとのことでした。連絡用の携帯電話で男子生活棟に控えている職員に入口まで付き添えない事態を報告することもしませんでした。
  生活棟の中のドア付近には見張り役の職員が待機しているはずでした。
  見張り役の職員は持ち場を離れる場合、隣接スペースの控室にいる職員に連絡することになっていましたが、せずに、突発的に発生した洗面エリアが水浸しになる事象に対応するため、無断で持ち場をはなれていました。
  先に下校していた中学生以下の子供たちが大勢付近にいるのに…。
  職員の付き添いなく入棟した入所者が開けたドアから、息子を含め2人の子供が外にでました。ドアは閉まると電子ロックがかかりますが、全開にすれば開け放されたままになります。残された防犯ビデオの画像からは、ドアの開閉の状況は識別できず、いつから、どのくらいの時間全開になっていたのかはわかりません。
  点呼をとられなかったため、事態発生から、1時間以上は息子の行方不明は認識されませんでした。
  点呼をとるルールがもともとなかったのかもしれません。
さらに、防犯カメラの不調を以前から放置し、故障しているものとみなして、生活棟内や敷地内を自分達でさがし、警察への通報まで、2時間以上も経過していました。
  児童相談所に相談し、複数の目を期待して入所させたのですが、今から思うと自宅のほうがよほど安全でした。


施設入所

思春期に入り、行動面での制御が難しくなってきました。
自宅で2階から飛び降りたり、窓ガラスを割ったりと…。
入院先の医師の勧めもあって、児童相談所を通じて、施設に入所しました。
入所の面接で、児相の職員も立ち会いました。
その際、今でもはっきり覚えているのですが、
「この子、出て行っちゃう子じゃないよね ?」
という副園長の言葉でした。
一度もお巡りさんのお世話になったことないので、「いいえ…」と。
でも、なんでそんなこと聞くんだろう…。気になりました。
行方不明となって、その意味が判りました。
「施設のドアはしょっちゅう開け放しになるけど、この子大丈夫かな ?」
ということだと合点がいったのです。
なんという施設にいれてしまったんだろう…。
14年間ずっと目を離すことなく育ててきたのに…。 



安全配慮義務違反

息子の行方不明の原因は、入所施設の「安全配慮義務違反」によるものでした。
 ・出入り口の施錠と開閉が人命よりも業務の効率を優先させる構造であったこと。
 ・防犯カメラシステムのモニター故障を放置していたこと。
 ・複数の職員がルールを無視した行動をとっていたこと。
 当時の報道で、施設のコメントとして、「いろいろなトラブルが重なり、その隙に行方不明になった」としています。
 「不可抗力」と情報の読み手に解釈していただこうという意図が読み取れます。
 実際は、トラブルといっていることは日常的によくある些細なことで、違反さえなければ、息子の行方不明は回避されていました。
 施設を監督する行政の東京都に求めた調査結果の報告でも明らかです。
 しかし、東京都は、改善のための指導はしているようですが、事故に対する行政処分はしていません。
 事故からもうすぐ1年を経過しますが、賠償について、施設はいまだに重過失に対する誠意をみせていません。
 現在、新知事にあてて「処分の嘆願書」をお送りし、また警察署に刑事罰の検討をお願いしています。

社会の損失

今まで、息子が助からなかった要因として、無関心について言及し、それは他人事ではない点を訴えてまいりました。
今回は別の視点から書かせていただきます。
私共は、親族の介護の最中に息子を亡くし、失意からやむをえず介護を別の親族に一任している状況です。
介護をするようになって、認知症について以前より理解する機会を得ました。
介護する前、はだしで徘徊しているお年寄りを息子といっしょに情報を交番に届けたことがあります。当時、身近に認知症の親族がいなかったため、誤解し、徘徊の有無を認知症と考えていました。しかし、親族のことは医師から告げられるまで気付きませんでした。
初期はなかなか見抜けません。おそらく、本人も周囲も気づかずにそれなりに暮らしている方もいらっしゃるようです。
告げられてから、以前より自己中心的で怒りっぽくなっていることに気づきました。
今は、歩道でベルを鳴らし続けて自転車を強引に走らせるお年寄りに対しても、優しい気持ちで見守ることができるようになっています。
ブログを通して、たくさんの方から温かい励ましやご意見を寄せていただき、中には考えさせられてしまうものもありました。
情報がなく、当初は入所施設の近所の山や川を捜索、大きな川の橋の下の草を刈ろうとしたり…。警察の方は車にひかれて遺棄された可能性も考えたのかもしれません。
自分達が入所させてしまった結果、行方不明となり、皆さんの税金を使ってしまい申し訳ない気持ちでした。
認知症の方の鉄道事故では、損害金が介護に疲れ、悲しみに暮れるご家族に請求されるという居たたまれない現実をよくお聞きします。
周囲の配慮で防げる事故は、社会の損失を減らすため、みんなで防ぐ意識をもっていくことが大切だと思います。


2016年10月9日日曜日

親として反省すべきこと

私達は息子にとって良い親だったのか・・・。
 そうではありませんでした。
 障害の子供を持つ親御さんの中には、子供の事を隠さず周囲と積極的に交流されている方もいらっしゃいます。
 近所の商店の方と顔見知りになったり、通常級と交流したり、PTAの役員として積極的に関わったり・・・。
 自分の子供のために努力されています。
 子供を理解してもらおうという気持ちがそうさせていると感じます。
 私達はそれをしませんでした。
「うちは重度だから・・・ 親の手伝いをしなければいけないから・・・」
 都度いろいろ理由をつけてしませんでした。
 でも、「息子が重度で恥ずかしく、近所の人とあまり会いたくない。」が本音でした。
「子供が迷惑をかけるので・・・」というのは言いわけで、本当は親が人目を避けていたのです。
そんな私達を見透かすかのように、息子は旅立ってしまいました。
悔だけが残る毎日です。




通報されてしまったこと

以前、息子は通報されたことがあります。
 電車好きの息子が、電車の往来が見える、踏切に隣接する商店街で、電車が通るたびに興奮して、大声をだしていました。
 夕方の人通りが多い通りを行ったり来たりしながら。
 目障りだったのでしょうか、傍らに親がいるのに・・・。
通報でお巡りさんがやってきました。
理由を尋ねると、「変な人がいる」と通報があったからとのこと。
「名前は ?」 思わず「えー・・・。」(どうして名前聞くの・・・ ?)
 そのお巡りさんの態度と表情は私を悲しませました。
名前、特徴を記して、何かあったら保護しようという風には見えなかったからです。
 今回、バスの中で大声を出していたのに、通報してもらえず、命を落としました。
 やはりそうか、社会のお荷物と思われているからだ・・・。
 何かと周囲に迷惑かけていたのもわかっていました。
 私たちは公園などで迷子を保護したことが何度かありました。
 気分の悪くなったお年寄りを駅員の方に連絡し、対応をお願いしたこともありました。
 盲目の人に尋ねられると、ちゃんと乗換られるように、後ろからついていくことにしています。
 財布を届けるのは何度か経験しています。
 息子自身が都バスの中で小銭入れを見つけ、降車の際に私と届けたこともありました。
 自閉症や知的障害の方は、身体障害者の方と違い、障害の度合いが目に見えないため、誤解されることがよくあります。
 しつけができていない、わがまま言っている、そのせいで肩身の狭い思いをし、悲しい思いをしてきました。
 知的障害の方とその親が少しでも理解してもらえることを願います。


弱者は社会を映す鏡


戦後70年、経済と物質が豊かになり、多様化したニーズや発想そして表現も認められつつありす。
しかしまだまだ、成長が必要とされる領域があると思います。
善意や思い遣りといった「心の領域」です。
 パワハラ・オワハラ・雇い止め・過労死・・・。
 企業が社会を構成する一員としての認識が欠けた利潤追求の産物。
 サービスや商品の適正価格を考慮しないで安いものを求める消費者。
 1人1人が社会の一員として大切な存在なのに、大切にされない。
 「決め事」のなかにもいろいろな矛盾点を抱える今の社会では、「政治が悪い」の一言で言ってしまえるほど単純ではなさそうです。
優しさの不足した社会でも、健常な人はそれなりに生きてゆけます。
しわ寄せは弱い人に降りかかります。
 見て見ぬふりが無ければ、きっと息子は生きて戻ったと思います。
 障害者は社会のお荷物。
バスの中で、そうした目で見られたため、息子は透明人間になったのでしょう。
 弱い人は、社会を映す鏡だと思います。
 自分が健常者と今思っている人も、やがて年老いて弱い人になります。
 思い遣りを大切にする社会は1人1人の努力の集積で、1人1人に還元されるものだと思います。



情報発信の動機

息子の死亡が判明、寒さと飢えが原因ではないかと伝えられ、夫婦ともども悔恨の念にさいなまれました。この子を守っていくという人生の目標を失ったこともさることながら、息子の最後の様子が聞くに耐え難い情報だったからです。息子の運命に対し、自分達がのうのうと生きていてよいのだろうか・・・。精神安定剤に頼り、息子との想い出にふける日々が続きました。
 津久井やまゆり園の事件が発生し、弱い立場にある人々が声を上げはじめました。
 私たちも、息子の件を広く情報発信することで、障害のある方のみならず、小さいお子さんやご高齢の方にとって、少しは役に立つのではと思うようになりました。
 複数のメディアの方への接触を試み、お1人の記者の方にご検討いただくことになりました。採用されなかったとしてもお気持に感謝しています。又、自らも、ブログという手段で情報として発信し、皆さんと共有していこうと思いたったのが立ち上げの動機です。
息子のような犠牲者がなくなるきっかけになればよいと思っております。


不思議な門燈

息子が行方不明であった当時、家族は息子が徒歩で自宅を目指していると思っていました。お金が無くては、バスや電車には乗車できないと考えていたからです。ひょっとしたら交通事故にでもあったのでは・・・。
後ろ向きなことが思い浮かぶこともありましたが、希望も持っていました。 息子がいつ帰ってもいいように、できる限り家族の誰かが家に居るようにしました。どうしてもやむを得ず出かけるときには、外壁の門は開けておき、ポストに食べ物や飲み物を入れて置きました。きっとお腹を空かしているに違いない・・・と。
 行方が分からぬまま、登山道で、息子が施設から持って出たおもちゃが発見されました。 30曲の童謡が選べる音の出る絵本でした。雨に濡れてか、電池を交換しても音は鳴りませんでした。
 以降の情報がなく、いら立つ日々。2週間、3週間 どれだけの日数が経ったか覚えていません。ある日のこと、「もう帰って来られないんだ、きっと・・・」夜中に戻ってもいいように一晩中灯していた門燈を消しました。 その瞬間です。鳴らなくなっていた音の出る絵本が突然鳴り出したのです。♪「ポケットの中にはビスケットがひとつ・・・」♪30曲のうちなぜかその曲でした。
よほどお腹が空いていたのでしょうか・・・。息子が門燈を消さないでと言っているようにも思えました。
 門燈は再び一晩中灯しておくことにしました。絵本が鳴ったのはだだの一度きりで、その後、二度と鳴ることはありませんでした。いつのまにか、門燈も点かなくなりました。電球を交換してもだめでした。点かなくなっても、習慣で門燈のスイッチを押してしまう毎日。
 新盆が近づいた7月のある日、点かなかった門燈がほんの数時間だけ点いたのです。
 家は古くなり、またおもちゃも温かくなるテレビの横に置いていたため、何かの接触で点いたり鳴り出したりしたのかもしれません。私たち家族にとっては不思議な体験でした。


5分おきにギャアと叫ぶ息子は透明人間 ?

お金が無いのに電車とバスになぜか乗れた息子・・・。
ヘッドライトをつけて夜間登山をしたり、夜景やビア・マウントを楽しむ人々で賑わっていた、初秋の高尾山。
 大声を出しながら、薬王院の階段を上がっていく息子とすれ違った人はいたはずなのに・・・・。ケーブルカーにも乗車したのに目撃情報はありませんでした。息子は透明人間にでもなったのでしょうか?
 息子の足取りはほとんど防犯カメラの映像からで、薬王院のそれが最後でした。
 息子が誰も訪れない沢に落ち、寒さと空腹でさまよっていることを知らず、歩いて帰ってくると信じて待ちわびていました。
 息子は一度も誰かに危害を加えたことはなく、ギャアと大声を出すだけで、声をかけられれば素直にしています。でも初めて会った人は、ギャアと声を出す息子に対し、関わりたくない、怖い、と思ったかもしれません。
 保護してくれなくても、せめて電話一本していただけたら・・・。
 交番のおまわりさんが大好きな息子でした。
 身長172cm、我が家では一番背が高かった息子は、今は小さくなってしまいました。

プロローグ

2015年9月、重度知的障害の息子が、入所施設から行方不明になり、高尾山で遭難、2カ月後にふもとの沢で遺体で発見されました。
捜索の過程で残念なことも判明しました。生きている息子と接触があったのは、バスの運転手さんでした。車内で大声を出す息子を何度か叱りました。終点で、介助者なしに無賃下車しようとする息子を制止はしたものの、警察への通報はしませんでした。
その様子に気づいている乗客の方もいました。
全く情報や通報もないため、捜索は難航、発生から4日間、足取りは全くたどれませんでした。
電話一本で救えた命でした。
夏休み、ひとりで電車やバスに乗るお子さんもいることでしょう。
高齢者の方で、急に体調を崩される方もいると思います。
1人でも他人に関心を持つ方が増えて、優しい世の中になることを切に願います。