2016年10月10日月曜日

社会の損失

今まで、息子が助からなかった要因として、無関心について言及し、それは他人事ではない点を訴えてまいりました。
今回は別の視点から書かせていただきます。
私共は、親族の介護の最中に息子を亡くし、失意からやむをえず介護を別の親族に一任している状況です。
介護をするようになって、認知症について以前より理解する機会を得ました。
介護する前、はだしで徘徊しているお年寄りを息子といっしょに情報を交番に届けたことがあります。当時、身近に認知症の親族がいなかったため、誤解し、徘徊の有無を認知症と考えていました。しかし、親族のことは医師から告げられるまで気付きませんでした。
初期はなかなか見抜けません。おそらく、本人も周囲も気づかずにそれなりに暮らしている方もいらっしゃるようです。
告げられてから、以前より自己中心的で怒りっぽくなっていることに気づきました。
今は、歩道でベルを鳴らし続けて自転車を強引に走らせるお年寄りに対しても、優しい気持ちで見守ることができるようになっています。
ブログを通して、たくさんの方から温かい励ましやご意見を寄せていただき、中には考えさせられてしまうものもありました。
情報がなく、当初は入所施設の近所の山や川を捜索、大きな川の橋の下の草を刈ろうとしたり…。警察の方は車にひかれて遺棄された可能性も考えたのかもしれません。
自分達が入所させてしまった結果、行方不明となり、皆さんの税金を使ってしまい申し訳ない気持ちでした。
認知症の方の鉄道事故では、損害金が介護に疲れ、悲しみに暮れるご家族に請求されるという居たたまれない現実をよくお聞きします。
周囲の配慮で防げる事故は、社会の損失を減らすため、みんなで防ぐ意識をもっていくことが大切だと思います。


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