2019年1月15日火曜日

訴訟の経緯



2015年9月4日、知的障がいの息子松澤和真が、預けていた障害者入所施設から行方不明になり、高尾山の登山道で遭難、11月1日に麓の沢で遺体で発見されました。
 身元が確認され、通知されたのが、翌年1月4日でした。
対面できるまでに、事故発生から4カ月かかりました。
 行方不明の原因は、入所施設の業務上の過失で、本来施錠していなければならない扉が施錠されず、ガードもされていなかったことと、そのことが原因で1人の子供が出てしまったことを認識していたにもかかわらず点呼を取らなかったことでした。
 点呼を取らなかったこと以外にも、複数の職員が安全配慮義務にもとづくルールを守らず、設置していた防犯カメラの不具合を放置していたことが挙げられます。
 事故は発生してから1時間以上も発覚せず、又、防犯カメラで直ぐに確認できなかったため出てしまったこともわからず、敷地内を捜すのにさらに1時間かかり、警察への通報には2時間以上も経過していました。
 通報が遅くなり、警察犬も後をたどることができなくなりました。
 防犯カメラの解析が遅れ、出て行った時の服装も誤って伝えられました。

 行方不明の時点から、施設を監督する東京都に調査を求めました。
 調査の結果が通知されたのは、遺体の身元が確認された翌年でした。
 東京都は施設の過失を認めましたが、改善指導にとどめ、行政処分はしませんでした。

 現在、捜索をお願いした警察署に訴え、事故を起こした施設管理者や職員に対する刑事罰を要請しています。

 施設側も過失を争う姿勢はありませんが、賠償については、弁護士を通じ障がい者を差別する金額を呈示してきました。
 賠償額は「逸失利益」と「慰謝料」から構成されます。
 施設の呈示は、逸失利益をゼロ、慰謝料は基準の最低額20百万円というもの。
 これは、息子は生きていても価値がないという、障がい者を差別したものです。
 まだ15歳の成長過程であった息子に対し、そもそも「利益を産み出さない価値のないもの」と重過失の加害者から言われる筋合いはありません。
 こうした障害者を差別する考えを持つ施設であったから、事故は起こるべくして起こったと考えています。
 家族にとっては、かけがえのない存在である大切な子供を預かっているという認識が欠けている姿勢がうかがえます。

 息子は、その稼働能力から将来就労する可能性は十分ありました。
 又、亡くなった息子が失ったものは、労働の機会だけではなく、これから体験する様々な経験や、感動、知識、夢、人との関わり、人生のすべてです。
家族が失ったものは、息子と関わることで得られたはずの人生経験で、苦労、喜び、自分達の成長等々…きわめて大きなものです。
本来、命の価値が差別されてはならないと思っています。

従来から、経済的に弱い立場の人たちは賠償問題で不利な立場に立たされてきました。
私達の判例が良い方向にむかえば、障がい者ばかりでなく、主婦、非正規雇用、ニート等、経済的に不利な立場に置かれている方々の今後の賠償額の基準の底上げにもつながると考えています。

共感いただける方はぜひ応援していただければ幸いです。

2016年12月9日、社会福祉法人多摩藤倉学園に対し、裁判所の職権で、証拠保全の手続きを行い、民事賠償手続きを開始しました。


(息子と最後に一緒に見た宮ケ瀬ダムの風景)

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