昨年12月に最終弁論が行われ、後は判決を待つのみとなり、東京地裁の裁判で私達が準備することは無くなりました。
思い起こすと息子の死亡事故が起きてから目まぐるしく時が過ぎていきました。
3年前の2015年9月に行方不明となり、11月に遺体で発見され、翌年1月に身元が確認されましたが、思い出しても、その時期が一番辛かったです。
その4か月間の体験は筆舌に尽くしがたいものがありました。法要は行いつつも、納骨するには忍びなく、遺骨は今でも自宅にあります。
昼間は居間に夜間は寝室に安置し、夫婦のいずれかが墓にいくときに一緒につれて行こうと考えております。
はじめの頃は息子の写真を家中に置いて偲んでおりました。しかしそのうちに焼香する場所の遺影を除き、全て伏せて置くようになりました。良い想い出よりも、行方不明直後に脳裏に浮かんだこと、どのように亡くなったかというシーンがフラッシュバックしてくるからです。
外出先から戻るとその遺影と遺骨に向かって合掌します。
結審から帰宅した時も合掌しました。
いつもの様に自問しながら…。
自分は何をしているのだろうか…。
2年前の2016年12月に裁判することを決意しました。まず、裁判所に申請して過失施設に対する証拠保全を行い、息子の記録を確保しました。息子が行方不明になったという連絡が入ってからは、自身の仕事や家族の生活と両立させながらも、非日常的な毎日を過ごすようになりました。
裁判を開始したからといっても気持ちが整理されることはなく、息子が「なぜ亡くならなければならなかったのか」という疑問の回答を見つけようとする気持ちが更に強くなっていきました。
施設の入所者の安全に対するコストの削減と職員の意識、事故に対する賠償の姿勢、そして過去の裁判例。
障がいのあった息子の命と人生は軽視されているという思いがどんどん膨らんでいきました。
同じような施設の事故について経験豊富な弁護団の先生のお1人が、今回の法廷で、「親御さんたちは、施設に預けた自分を責めてしまう。根本的に解決しない。」とおっしゃっていました。又、報告会に参加された方からは、「この裁判は健常者のためのものでもある。自分たちが交通事故の加害者になってしまった時、被害者の方に障害があった場合、自分たちが加入している保険では誠意を尽くすことが出来ないことがわかった」という感想をいただきました。
亡くなってしまった息子のためには何もしてあげられませんが、現状を放置しておくことは良いことではありませんし、なにより息子の命と人生を軽視した施設を許すことはできません。
子供の死に向き合うことが、真に子供に寄り添う事であり、私達のような経験をされる方がなくなるためにもとことんやろうと決意して今日に至っております。