亡くなったことの補償の交渉過程で入所施設を運営している社会福祉法人藤倉学園(以下被告と記載します。)は,息子に働く能力がないとして一般に交通事故等で15歳の少年が亡くなった場合のわずか5分の1にも満たない賠償額しか呈示せず,気に入らなければ法的根拠を示せと,訴訟を誘発する主張をしてきました。
私達はわが子の命を軽視して事故を引き起こした上に,将来の能力を否定して差別する被告の対応に怒り,提訴に踏み切りました。被告施設は,管理態勢が極めてずさんであったため,息子は15年という極めて短い生涯を閉じました。息子がこれから歩むはずであった明るい未来,可能性に満ち溢れた人生は,被告のたび重なる重大な過失によりその一切が絶たたれたのです。
先日行われた記者会見で、親の気持ちとして以下の事を報道関係の方にお伝えしました。
「子供を事故で亡くした親は,事態を生涯忘れることができません。心の痛みを一生背負っていかなくてはなりません。子供に障がいがあっても,無くても,悲しみに違いはありません。」「亡くなった子供にしてあげられることは,子供の死に真っ直ぐ向き合うこと,そして亡くならなければならなかった原因を見極めることであると考えております。」「施設で差別を受け,人として扱われず,安全配慮に手抜かりがあったことを許すことはできません。」「私どものような経験をされる方が無くなるためにもとことん争うことを決意しています。」「過失で人の命が失われたのです。被害者の気持ちに寄り添った判決を強く願います。」
人の命は地球より重いという概念があり、法の下での平等という憲法があり、差別の禁止明記した権利条約という国際条約があります。
私達は裁判で正しい主張をしていると信じております。慣行という障壁が無ければ勝って当たり前の裁判です。
しかし勝訴したとしても、子供を亡くした私達に勝利という言葉はあり得ません。
良い裁判例になることを願うばかりです。